ほーすけの部屋

「森の賢者を目指すブログ」を書いてますほーすけです。他人の事などまったく考えない、個人的な部屋です・・・

お金の為に死になさい

こんにちは。ほーすけです。

ユダヤ人大富豪Ⅱ」だったと思います。

お金の為に命を差し出せと言われたら、みんな断るけれど、

時給という形で小分けにした、命の切り売りには抵抗を持つ人は少ない。



そんな感じの事が書いてありました。

まぁ、まったくその通りで、

いわゆる「普通の稼ぎ方」では「命の消費」が激し過ぎると思います。

こうゆう思想の影響もあって僕は、

「雇われない覚悟」と称し、正社員を辞めた後、

プロモデラーを目指しつつ、ブログ書きつつ、YouTubetのチャンネルを育てている訳ですが・・・

「普通に生きる」よりも何倍も大変な道のりだなぁと感じる毎日です。

何の保証もないですしね。上手くいかなきゃ、行き着く先は崖の下の暗闇・・・

それでも、偉い人達に消費エネルギーとして使われ続けて、

自分が何がしたかったのかも分からないまま死ぬよりは、

よっぽど「自分の意志で生きてる感」があるんで、

生き方を変えるつもりはないんですけどね。

将来、僕がホームレスにでもなってたら、せいぜい笑ってくださいな。






他に聴いた話では、「日本経済が落ちてきている」というテーマで、

「金稼ぎに必死になるのは醜い。」
「一人勝ちするヤツはズルいヤツだ。」
「貧しさを耐え忍ぶ事が美徳。」

みたいな島国根性が、数字に出て来ない、深層的な大きな要因だとのこと。

ああ、わかるなぁ・・・

って感じです。でもそれって、ルサンチマン以外の何物でもないのでは?

僕なんかは、

「どうせ無理だ。」
「他人を押しのけてまで勝たなくたっていいさ。」
「才能なんか無いんだから、普通に生きる以外はありえないよ。」
「頑張ったって、どうせ上手くいかないんだから、努力するだけ無駄。」


なんて人生諦めモードよりも、

「どんな手を使たって、ここから這い上がってやる!」
「俺は『その他大勢』の人間じゃない、絶対に成功者になる!」
「普通なんてつまらない、自分にしか出来ない事をやりたいんだ!」


みたいな、アメリカンドリーム的な思考の方が健全だと思いますけどね。

あくまで個人の意見ですので、日本人的こだわりを否定するつもりはありません。

でも、どっちの思考パターンの人の方が「生命体」として強いかは明らかじゃないでしょうか。



思う所はまだありまして・・・

なんだか最近は「夢を語る人」ひいては「夢を持ってる人」が妙に減ってるなぁ。と。

夢は子供の頃の持ち物。成人したら夢を捨てて、社会人になりなさい。

これが、現代日本に蔓延する「常識」の形じゃないでしょうか。

僕、この「社会人」って言葉が好きじゃないんですよね。

厳密には、今の「社会人」って言葉に紐づけされてる人間像が嫌いなんです。

「会社の奴隷」
「嫌な事を耐える事こそが仕事」
「人生の中で仕事が8割くらい。たった2割のウェイトでなんとかしようとするから、人間関係とか諸々でトラブルが起こる」
「自分の気持ち。は邪魔なだけ」

こんな所ですかね?もちろん、そうじゃない人もたくさんいます。





人間社会は、長い時間を経て複雑になり過ぎてしまったと思います。

正社員として働く。国にお金を収める。家族に不自由の無い生活をさせる。社会的に正しい行動をとる。

いろんな義務でがんじがらめになっていますが、本来の人間の義務は唯一

「死ぬまで生きる事」

これだけでいいはずなんですけどね。多分。

種の保存も考えるなら、「繁殖」も義務かな?




ほとんどの人にとっては、他人から「普通」だと思われるのも義務なんですかね?

そんなに他人が大切なのか?と思っても、自分を犠牲に他人を助ける人はあんまりいませんね。

みんな、自分が一番大事なんです。その割には、本気で自分の幸せに繋がる為の行動をとらない、自分の本当の気持ちを押し殺す・・・

矛盾だらけ・・・まるで、絡まったケーブルで出来上がった毛玉みたいです。

僕にはもうよく分かりません・・・




生きる上で、自分の仕事を考える上で、

大切な事は「本当の自分の望み」だと思います。

例えば、「おいしい料理で、みんなを元気にしたい!」という望みを持った人が働くからこそ、

料理人という仕事が、初めて価値を持つんです。

食に興味が無い人間にとっては、料理人は業種の一つでしかありません。

不満を抱えたまま料理を提供しても、作る側も食べる側も、お互い不幸なだけです。







長文にお付き合いありがとうございました。

最終的に何が言いたかったかと申しますと、「自分を見つけてくれ」って事です。

でも、自分探しの旅はオススメしません。もちろん、人間として大きなプラスはあるでしょうけど、

結局は「こうでなきゃいけない」という既成概念の全てを取り払って、最後に残った物が、

「本来の自分」なんです。遠くに探しに行っても、そこに自分は待っていませんから。


まぁ、これも「僕の持論」です。

これからどうするかは、あなたの自由。

なんだかそれって楽しくないですか?