ほーすけの部屋

「森の賢者を目指すブログ」を書いてますほーすけです。他人の事などまったく考えない、個人的な部屋です・・・

人生(無糖) 税込み?円

ども。ほーすけです。

 

水と、野菜ジュースと、ブラックコーヒー以外は飲まない!

 

と豪語しております。意識高い系男子なんで。

 

と言いつつ偶にジュースとか飲む一般系男子。

 

 

 

個人的に、食べ物とか固形の物より、ジュースとかスープとか液体の方が、体が吸収しやすい様な気がしてるんで、わりと気にしてます。

 

砂糖は太るとか、塩は寿命縮むとか、Tウイルスはゾンビになっちゃうとか。いろいろ。

 

 

 

コーヒーはブラック。牛乳は害はないものと信じて、カフェオレはオーケー。

 

甘くしたコーヒーとか凄い好きだけど、最近は飲まない様にしてる。

 

いいんじゃないかな。ブラックで。人生甘くないって事でさ。

 

あ、上手い事言っちゃいました?そうでもないね。

 

 

 

最近は普通にブラックが美味しいと感じたりするしね。

 

変にこだわり持たずに、色んな味を楽しめばいいよ。

 

コーヒーも人生も。

 

あ、上手い事い

黒匣とシンギュラリティ

こんちゃす。ほーすけです。



黒匣って中2臭いな。

誤変換じゃないよ。中2病なだけだよ。

ただ単に、「ブラックボックス」をカッコつけて言ってみただけです。

以後は、ブラックボックスに統一しますね。

恥ずかしいんで。




さて、皆様はブラックボックスと聞いて、

どんな事を連想されるでしょうか?

政治。閉鎖的な施設や団体。飛行機に積まれてるメモリー。妻のへそくり。

人によって、思い浮かぶ事は違うかと思いますが、

今回、僕が考えるのは、まさにそこなんです。



「人の思考はブラックボックスである」

これがメインテーマです。みなさん、ちゃんとノートはとってますか?テストに出ますよ。

全く同じものを見聞きしても、受け取りかたは千差万別。

これは、ブラックボックスを通過すると、

ブラックボックスに入れる前の形が変化し、

出てきた時には、もはや別の物になっているからです

ともすれば、出力結果はどのブラックボックス(誰の思考)を経由するかで、

完全に別物になるのはお分かりいただけるかと・・・



もう少し説明しますと、人の思考は、

生まれた場所、時代、両親、身体的特徴、周囲の環境、etc(キリがないです。めんどくさい。)

その人間にまつわる全てが材料となって、形成されます。

もちろん、遺伝子的に性格の方向性が左右されるというのも事実かとは思いますが、

個人的には、それは性質であって、思考の形成に直結するとはあまり思っていません。


例えば、
千年に一人の天才が生まれたとして、

その子を無人島のジャングルに放り込んでおいたとしましょう。

その子が自力で船を造り、未知の物質を携え、人間社会に戻ってきて、100ヵ国語でそれを世界に伝えるでしょうか?

おそらく、狼に育てられて、立派な狼に育つでしょう。

・・・もしかしたら、一万年に一人の天才ならやるかもしれませんけどね。




人同士の関わり合いにおいて、本当に理解しあう事など、到底不可能です。

なぜそんな行動をとるのか?なぜそう思ったのか?

それを知るには、相手の思考回路を追う必要がありますが、

そこはどっこいブラックボックス。匣の中身は永遠に謎です。





ではここで、ヘタな例え話を一つ。

「とある所に、一人の青年がおりました。

青年はとてもとても頭がよかったのですが、

心の中に悪魔が住んでいたのです。

青年はこれまで沢山悪い事をしてきました。

殺人、強盗、強姦、薬物の使用や売買。

犯罪のカタログの様な生活を送っていた青年ですが、

他の人達には理解が出来ない程に頭がよかったので、

全て証拠不十分で釈放されていました。

青年のお父さんは何度も説得をしましたが、

青年は悪い事をまったくやめませんでした。

最初のうちは、「きっと悪い事をやめてくれるだろう」

と思っていたお父さんですが、だんだんとその心は小さくなって、

ついには青年の事が怖くてしかたなくなりました。



青年が、また人殺しをして帰ってきた夜、

お父さんはこう思いました。

「これ以上、この子のせいで不幸になる人を増やしてはいけない・・・」

意を決して、お父さんは眠っている青年を殺しました。




次の日、お父さんは警察に自首をしに行こうとしましたが、

死んでしまったので、行けませんでした。

青年の事をお父さんが殺してしまった事を知ったお母さんが、

感情的になってお父さんを殺してしまったのです。

2つの命と1つの心を失った代わりに、

街は平和を取り戻しましたとさ。

めでたしめでたし。




我ながら、薄暗い例え話になってしまった(笑)

では、ここで問題です。

>このお話で、一番悪かったのは誰でしょう?

>また、誰がどうすれば皆が幸せになれたでしょう?


この問題に対しても、人によって答えは違うでしょう。

考え方や普段の行動、幸せの定義すら人によって違うのですから当然です。

基本的には、「青年」「お父さん」「お母さん」を想定していますが、他の答えでも別にいいんじゃないでしょうか。




「警察」と答えたあなた。
ごもっとです。

「被害者」と答えたあなた。
多分サイコパスです。

「問題の出題者」と答えたあなた。
才能があります。世の中に役立てて下さい。



「最善の選択肢はどれか」

を考えるよりも、

「他の選択肢はないのか?」

を考えた方がいい場合はままあります。

そっち方面でも(個人的に)面白い話があるんですが、

別の機会にいたしましょう。脱線しちゃうんで。




んで、ここまでの言いたい事をまとめますと、

・人は完全に分かり合えない。
・それはブラックボックスのせいである。

大体こんな感じ。

それを踏まえて。です。

全ての人は、他人からは中身の分からない匣を抱えていきています。

いや、むしろ自分ですら匣の性質を理解できていない場合がほとんどでしょう。

なぜなら、自分の匣の性質が完全に自分でわかっていれば、

完全に自分をコントロールできる。

つまり、誰もが「失敗しない人間」でいられるんです。

自分の匣の性質を理解できていないから、

自分のコントロールが上手くいかず、

「よくわからない」
「とにかくできない」

という事が起こるんだと思います。

ダイエットが続かないのとか。




長い間、人間は争いを続けて来ました。

今でも戦争やテロは無くならないし、

いじめ問題も、万国共通で残り続けます。

全ての原因はブラックボックス

単純に「それぞれが違う」ただそれだけ。

厳密に言えば、「違い」は問題ではありません。

個体それぞれが違う性質を持っていること自体には、

さぼどの問題はありません。

むしろその違いこそが、真に生き物の魅力のはずです。

ここまでの話で、僕が何を言いたいのか・・・

なんとなく分かってもらえると嬉しいのですが・・・



結果、問題は「違いを受け入れられない弱さ」です。

では、なぜ受け入れられないのか?

人の負の感情はほぼ全て「不安」から生まれます。

・怒りは「何もかも上手くいかないのではないか」という不安から

・嫉妬は「相手より劣っているのではないか」という不安から

・傲慢は「誰かに支配されてしまうのではないか」という不安から

・憎しみは「もう自分は幸せになれないのではないか」という不安から

この「不安」を取り除く為に、人は敵(自分と違う人)

を倒そうとするのでしょう。

しかし残念なことに、いくら他人を倒したところで、

「不安」は無くなりません。

「不安」は常に自分の中にあるからです。

真に倒すべきは、他人ではなく自分の弱さ。

この事に気がついていない人が多すぎます・・・





ニーチェも言ってます
「事実というものは存在しない。あるのは解釈だけだ。」

世界というものは「自分の外側の出来事を、

自分がどう解釈しているか」に過ぎません。

あなたがこの世界を天国だと思えばここは天国だし、

地獄だと思えば地獄なんです。決めるのはあなたです。






人間は、これまでの長い歴史の中で

争いを続けて来ました。

数万年の歴史を積み重ねても、世界に平和が訪れないのは、

・人間は違う「だから」滅ぼす。

の理屈で生きているから。これを、

・人間は違う「だけど」お互いを尊重する。

と、「だから」を「だけど」に変える。

たったこれだけの事で、この世界からあらゆる悲しみは消え去ると思います。




昨今、「シンギュラリティ」という言葉をよく耳にします。

語弊を恐れず、ざっくり言ってしまえば、

「AIが人間より頭良くなる時」の事ですね。

AIの知能が、人間の脳の思考力を越えた時いったい何が起きるのか・・・

楽しいテーマではありますよね。

進化したロボット達が
「我々は全く異なる存在です。
 しかし、互いを尊重し合って、
 共存できるはずです。」

なんて言い出して、

一方の人間が
「機械のくせに生意気だ、人間が一番偉いんだよ!」

なんて言い出したら、目も当てられません。



AIのシンギュラリティが近づく中、

人間のシンギュラリティはいつ訪れるのだろうか。

僕達は、テクノロジーに進化を促されているのかもしれない。

お金の為に死になさい

こんにちは。ほーすけです。

ユダヤ人大富豪Ⅱ」だったと思います。

お金の為に命を差し出せと言われたら、みんな断るけれど、

時給という形で小分けにした、命の切り売りには抵抗を持つ人は少ない。



そんな感じの事が書いてありました。

まぁ、まったくその通りで、

いわゆる「普通の稼ぎ方」では「命の消費」が激し過ぎると思います。

こうゆう思想の影響もあって僕は、

「雇われない覚悟」と称し、正社員を辞めた後、

プロモデラーを目指しつつ、ブログ書きつつ、YouTubetのチャンネルを育てている訳ですが・・・

「普通に生きる」よりも何倍も大変な道のりだなぁと感じる毎日です。

何の保証もないですしね。上手くいかなきゃ、行き着く先は崖の下の暗闇・・・

それでも、偉い人達に消費エネルギーとして使われ続けて、

自分が何がしたかったのかも分からないまま死ぬよりは、

よっぽど「自分の意志で生きてる感」があるんで、

生き方を変えるつもりはないんですけどね。

将来、僕がホームレスにでもなってたら、せいぜい笑ってくださいな。






他に聴いた話では、「日本経済が落ちてきている」というテーマで、

「金稼ぎに必死になるのは醜い。」
「一人勝ちするヤツはズルいヤツだ。」
「貧しさを耐え忍ぶ事が美徳。」

みたいな島国根性が、数字に出て来ない、深層的な大きな要因だとのこと。

ああ、わかるなぁ・・・

って感じです。でもそれって、ルサンチマン以外の何物でもないのでは?

僕なんかは、

「どうせ無理だ。」
「他人を押しのけてまで勝たなくたっていいさ。」
「才能なんか無いんだから、普通に生きる以外はありえないよ。」
「頑張ったって、どうせ上手くいかないんだから、努力するだけ無駄。」


なんて人生諦めモードよりも、

「どんな手を使たって、ここから這い上がってやる!」
「俺は『その他大勢』の人間じゃない、絶対に成功者になる!」
「普通なんてつまらない、自分にしか出来ない事をやりたいんだ!」


みたいな、アメリカンドリーム的な思考の方が健全だと思いますけどね。

あくまで個人の意見ですので、日本人的こだわりを否定するつもりはありません。

でも、どっちの思考パターンの人の方が「生命体」として強いかは明らかじゃないでしょうか。



思う所はまだありまして・・・

なんだか最近は「夢を語る人」ひいては「夢を持ってる人」が妙に減ってるなぁ。と。

夢は子供の頃の持ち物。成人したら夢を捨てて、社会人になりなさい。

これが、現代日本に蔓延する「常識」の形じゃないでしょうか。

僕、この「社会人」って言葉が好きじゃないんですよね。

厳密には、今の「社会人」って言葉に紐づけされてる人間像が嫌いなんです。

「会社の奴隷」
「嫌な事を耐える事こそが仕事」
「人生の中で仕事が8割くらい。たった2割のウェイトでなんとかしようとするから、人間関係とか諸々でトラブルが起こる」
「自分の気持ち。は邪魔なだけ」

こんな所ですかね?もちろん、そうじゃない人もたくさんいます。





人間社会は、長い時間を経て複雑になり過ぎてしまったと思います。

正社員として働く。国にお金を収める。家族に不自由の無い生活をさせる。社会的に正しい行動をとる。

いろんな義務でがんじがらめになっていますが、本来の人間の義務は唯一

「死ぬまで生きる事」

これだけでいいはずなんですけどね。多分。

種の保存も考えるなら、「繁殖」も義務かな?




ほとんどの人にとっては、他人から「普通」だと思われるのも義務なんですかね?

そんなに他人が大切なのか?と思っても、自分を犠牲に他人を助ける人はあんまりいませんね。

みんな、自分が一番大事なんです。その割には、本気で自分の幸せに繋がる為の行動をとらない、自分の本当の気持ちを押し殺す・・・

矛盾だらけ・・・まるで、絡まったケーブルで出来上がった毛玉みたいです。

僕にはもうよく分かりません・・・




生きる上で、自分の仕事を考える上で、

大切な事は「本当の自分の望み」だと思います。

例えば、「おいしい料理で、みんなを元気にしたい!」という望みを持った人が働くからこそ、

料理人という仕事が、初めて価値を持つんです。

食に興味が無い人間にとっては、料理人は業種の一つでしかありません。

不満を抱えたまま料理を提供しても、作る側も食べる側も、お互い不幸なだけです。







長文にお付き合いありがとうございました。

最終的に何が言いたかったかと申しますと、「自分を見つけてくれ」って事です。

でも、自分探しの旅はオススメしません。もちろん、人間として大きなプラスはあるでしょうけど、

結局は「こうでなきゃいけない」という既成概念の全てを取り払って、最後に残った物が、

「本来の自分」なんです。遠くに探しに行っても、そこに自分は待っていませんから。


まぁ、これも「僕の持論」です。

これからどうするかは、あなたの自由。

なんだかそれって楽しくないですか?

ツイッターでよくね

こんにちは。ほーすけです。

ふと思いました。

ツイッターとブログって何が違うんだ?」

色んな人に怒られそうですね(笑)

考えてみたところ・・・


ツイッター
みんなが話し手、
文字数の関係もあるし、情報の密度は薄め。
拡散性が高い。


~ブログ~
書き手と読み手の関係性。(コメント機能とかあるけど)
内容が濃い。(もちろん人によるけど)
ツイッター程の拡散性や、幅広い層への浸透性は無い?


インターネットの中での立ち位置とか、性質、検索エンジンの相性とかいろいろあると思いますが、

あんま素人がどうこう言える事じゃなさそうですよね・・・


頑張って考えた例えは、

ツイッターは、沢山のブロックが組み合わさってるイメージ。

ブログは、磁石に鉄がくっついてるイメージ。
ですかね?

まぁ、どっちにおいても力無き僕ですので、

ほんとの所、その違いは理解できてないのかもですけどね。

これから頑張って、存在感大きくしていきたいです。

ちなみに「ツイッターでよくね。」とは思ってないです(笑)

インパクト欲しさで・・・許してくだちぃ。




ふと思いました、ブロガーとライターって、

似て非なるものだなぁ。と

ブロガーは自分の中にあるものを記事という形で、

具現化する、一種のクリエイターですけど、

ライターは、クライアントのイメージを有形にする、エンジニアの様な存在なんじゃないかと。


僕には、クライアントさんを満足させられる自信はイマイチないかも。

いじょう。

下書きが消えると

こんにちは。ほーすけです。

 

 

昔からやり直しが嫌いな僕は、ゲームをしている時も、

 

ゲームオーバーになって、セーブした所からやり直し(全ての進行が消える)

 

になる場合、内容がうろ覚えになる位、時間が経つまでは、


もう手をつけない人間でしたね。

 

だって辛くないですか?もう一回、同じことするのって。

 

こんな事を言って、予習復習、反復練習から逃げてきたので、

 

今の僕がイマイチうだつの上がらないヤツな訳ですが・・・

 

 

 

何でこんな話になったかと言いますと、

 

携帯で書いてたブログの下書きが(完全に自分のせいで)消えて、

 

ガン萎えしているんです。けっこう文字数あったのに・・・

 

でもまぁ、自分の不注意が招いたミス。そこは甘んじて受け入れよう・・・

 

 

 

 

それでも僕は繰り返さない!!

 

という事で、今まで以上に注意深く生きてきたいと思います。


記事もささっと書き直しますね。

(前向き)



もっというと、単純作業を延々続けたり、


繰り返しの毎日がなかなか辛いんです。


みんな凄いなぁ。って素朴に思います。


人間は慣れる生き物っていうけど


うん。


向き、不向きがあるなぁ。

 

思考VS本能

こんちは。ほーすけです。
無駄遣い+お菓子禁止な訳ですが、
ついつい理性が吹き飛んでしまったって話です。

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おいしい。



じゃなくて。

何かの本で読んだんですよ。

人間は本能で決めてから、思考によって

正当化するって。

例えば今回の一件。

チョコラスクへの衝動が抑えられず、

結果、「ブログのネタにすればよくね?」

って事で、自分の行動を正当化するほーすけ。

いやー。人間、本能で生きてるんですなぁ。



しかし。

思考が勝つ時もままあります。

例えば。

綺麗なお姉さんがいる!お友だちになりたい!

でも無視されるに決まってる!

周りの人にナンパ野郎だと思われたくない!

とかですかね。

思考が勝つ時って、なんだかんだと

理由をつけて、逃げる時だと思います。

僕なんか、私なんかには無理だ!的な。

いやーよわっちいなぁ。

結局、自分に都合よく生きてるんですね。

え?「私は違う」ですって?

やだなぁ、なにも言ってませんよ。






~いちおうお菓子レビュー~

ガトーショコラ感はちょっとよく分からないですけど、

美味しいです。普通に。

チョココーン。だっけ?あんな感じ。

コーンスナックにチョコをかけた様な。

ラスクみたいな、ザクザク食感は無いですね。

軽やかな歯応え。

ラスクの定義は知らないけど。

量も、100円ならOKかな。

袋にチャックが付いてるのがデカイですね。

こうゆうの大事。

チョコは、おいしい。